昔、私がまだ20代の若かりし頃の話です。
当時、地方の出先機関のような所に赴任していましたが、そこで問題を起こしてしまいました。
そこでは他官庁と一緒に仕事をしていたのですが、そこの所長と喧嘩してしまったのです。
まだまだ20代で血気盛んだった私は、傲慢なその所長に日頃から不満を抱いていました。
ある飲み会の時、詳しい理由は忘れましたが、酔った勢いもあり私がその所長に生意気なことを言ってしまったのです。
当然その所長は激怒し、「もうお前らには一切協力しない!!」と出て行ってしまいました。
翌日
上司から「謝りに行くぞ。」と言われましたが、まだ怒りの冷めやらない私は「何で謝る必要があるんですか?悪いのは向こうじゃないですか!」と生意気に上司にも反論してしまいました。
その時、上司は怒るかと思いきや、諭すように言われたことを今もはっきりと覚えています。
以下がその時のやりとりです。
上司:「お前は華をとるのか?実を取るのか?」
私:「え?どういう意味すか?」
上司:「喧嘩に勝つのは華をとること。格好悪くても、頭を下げて協力を得られるのは実を取るということ。」
私:「・・・・。」
上司:「華を取ってしまうと、実はならないんだよ。我々が欲しいのは、仕事を確実に全うするという実だ。喧嘩に勝つという華ではない。このまま協力を得られなくて、我々は実を取れるか?」
私:「取れ・・・ません・・・・。」
上司:「どうする?」
私:1分考え「謝りに行きます。ご迷惑をおかけしました。」
てなやり取りがありました。
この言葉も私の心に深く突き刻まれ、受け売りで使うようにもなりました。
よくよく考えればどうすべきか分かることでも、その時の感情でぶち壊してしまうことがありますよね。
特に若いと理性よりも感情で動きがちです(;´∀`)
この歳になったら頭を下げるなんてへっちゃらで出来ますが、若い時ってなかなか出来ないんですよね。
そりゃあ歳を重ねても腹が立つものは腹が立ちますよ。
でも、しっかりと実を見極め、実を優先して取りに行くという選択を優先できるようになってくるのです。
良いんです。頭を下げながら心で「ばーか」って言っておけば。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」
とは、昭和天皇の終戦の詔勅(玉音放送)の一節です。
ハラワタが煮えくり返りながら頭を下げるとき、頭の中で流れます(笑)
まぁ華を取りたがる人には、くれてやりましょう。その程度の人だということです。
そしてサクッと涼しい顔して実を取りましょう。
それが私が思う格好いい人です。
電車や道でぶつかっただ何だって喧嘩している人をよく見かけますね。
あれは華の取り合いです(^^)/
実を取る人はぶつかっても「あっすいませ~ん。」と喧嘩を回避して、日常を守るという実を取ります。
レストランで店員に「おい!」って言う人は華を取る人です。
実を取る人は「すいませ~ん」と呼びます。
私が店員なら、偉そうな奴の料理には唾を入れますね( ゚Д゚)
ウソだけど。
仕事で自分の失敗ではないのに上司から叱られた場合、目を三角にして「私じゃないですよ!」と言うのは華を取る人です。
実を取る人は黙って「失礼しました。」とだけ返します。
そうすると、実際に失敗した人から人望が得られるし、その事実を知った上司からも信頼されます。それが実なんです。
電車でやっていない痴漢でつかまっても「すいませ~ん。」
・・・とは言ってはダメです!!!
華も実も家族も人生も失います。
歳を重ねても、偉くなると華を取りがちなので気を付けたいところですね。
よく居ますよね。ふんぞり返りすぎて顎が上を向いている人。後ろにつっかえ棒がないと倒れるんじゃないかと心配してしまいます(^^)
「実るほど 首を垂れる 稲穂かな」
ということわざもありますね。
「損して得取れ」とも似ています。
ある意味「情けは人のためならず」とも似ています。
「金は天下の周りもの」とも、そこはかとなく似ています。
ともかく大切なのは、
自分やチームにとって、何が実か見極め、その実を取るために堪え難きを耐え忍び難きを忍ぶ
ことです。
結果として、人生はそういう人が勝つんですよ。
そんな生き様は如何ですか?
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