何だか大げさなタイトルで失礼しました(;´∀`)
でも、私にとっては一大決心なんです。
というのも、私が昨年3月に辞めた仕事についてお話しすることにしました。
私を知ってもらう上で、どうしても避けては通れないからです。
実は先日の記事で、「射撃競技をやっていた」と少し匂わせてはいたのですが・・・。
経歴
そうです。私は警察組織にいました。
現場勤務のほか、本部に行ったり警察学校で教官も経験しました。
警察では、採用されると漏れなく警察学校に入校し、大卒は半年間、高卒は10か月間みっちりと教養を受けます。
警察学校では、全寮制で起床から消灯まで厳しいタイムスケジュールで管理されます。
消灯後も非常招集訓練などで油断は禁物ですが(^_-)-☆
そこでは、法学から術科と言われる武道等の運動系の授業まで行われ、試験もあります。
私の頃は高卒は1年間でしたが、もう一度入れと言われたら絶対にお断りです(‘Д’)
まぁ私の頃なんて、殴る蹴るは当たり前でしたけど・・・・。
今はそんなことはないですけど、普通の生活からは想像もできない位に厳しい毎日が待っています。
実は警察学校というのは、採用した職員を育成する目的のほか、不適格者を早期に見極めて排除することも大きな目的の一つにあるのです。
人は追い込まれると本性が出ます。
あえて追い込んで本性を見極めて育成に資するほか、育成に耐えられない又は現場に出てもすぐに辞めてしまいそうな者を選定します。
まぁそういう者は追い込めば自分から辞めたいと言ってきますが・・・。
警察学校はトータル2回勤務しましたが、若い学生たちと共に汗を流し、喜びや楽しみを分かち合えたことは、本当に良い思い出です。
射撃について
私は当初からずっと射撃競技の代表選手をやらせてもらい、本気でオリンピックを目指しました。
まぁ結果的には箸にも棒にもかからなったんですけど(-。-)y-゜゜゜
本部では教養課という職員の教養を担当する部署に配属になり、職員に対して実戦的な射撃の指導を行うとともに、自ら射撃競技の現役を続行しながら監督として二足も三足も草鞋を履きました。
自身のオリンピックの夢を諦めたあとは、若手のオリンピック排出することを夢見て、人材の発掘と指導に当たりました。
1人最もオリンピックに近い人がいて、その人は仕事を辞めた今でも民間で東京オリンピック目指して頑張っており、私も大いに刺激をいただいています。
カウンセラーとして
カウンセラーとしては、人事院の研修などを経てメンターとして活動させていただいたほか、警察学校では厳しくする反面、学生たちのケアに当たりました。
何人も何十人も辞めていく人たちの相談に乗り、慰留したり転職を決心させてきました。
勘違いしてはいけないのは、その仕事に向かないからといってダメな人間という訳ではありません。
むしろ、警察は独特で閉鎖的な組織なので、適応する人は世間から見れば結構狭い範囲内の人です。
それがゆえ、定年退職後に民間に再就職したは良いものの適応できない・・・ということが頻発するのです。
なので、警察官の採用試験に落ちた人、警察学校で辞めた人、現場に出てから辞めた人も気にする必要はありません。
向かない職場に留まっても、一度きりの人生を無駄にするだけです。
まずは自分をしっかりと把握し、何がやりたいのか、何に向くのか客観的に俯瞰して分析し、頼れる人に相談しましょう。
でも考えて決めるのは自分です。
決めるのは他人に委ねず自分でなくてはなりません。
親も含めて他人に決定を委ねると、失敗した時にその人のせいにしたり、自分で決めなかったことを後悔することになります。
失敗のない人生なんてないです。
取り返しのつかない失敗は別にして、こけるのを恐れず自分で進んでいきましょう。
後ろ指をさされることをしなければ、人生何とかなります。
自分でオールを漕いで生きていると判断の連続で疲れるかもしれませんが、その判断を楽しめるようになればしめたものです。
やってできないことはありません。
やらずにできるはずがありません。
彫刻家の「平櫛田中」の言葉です。
そんな生き様は如何ですか?
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