内部告発は善か悪か

皆さんこんにちは♪

私が仕事を辞した理由については、以前お話をしました。

その良からぬことは、発覚する半年以上前に発生していたことであり、私も恥ずかしながら全く知らなかったのです。

では、どうして組織が知るところとなったのでしょうか。

それは、内部通報です。

私の知る範囲ですが、そのことを知っていた当事者の先輩が、内部通報したと聞いています。

なぜその先輩が知っていたのか、なぜ半年以上も経ってから通報したのかは分かりません。

当事者から聞いた話だと、事実とは結構異なっていたようですが・・・。

結果的に私はそれによって辞めることになったのですが、その内部通報をした者を恨んでいるかと聞かれれば恨んではいません。

感謝まではしていませんが・・・( 一一)

この機会に、内部告発(通報)について考えたいと思います。

若干私情も含んで少し長いです。

内部告発とは

内部告発とは、組織内の者が組織の不正や悪事を監督機関などへ知らせる行為をいいます。

組織内部に言えば内部通報、外部組織に言えば内部告発となるそうです。

内部告発は一般的に推奨される行為であり、組織が自浄作用を発揮するために、明るみに出ていない或いは隠蔽された事実を知ることは、とても重要です。

ひと昔前は、内部告発というものは組織への裏切り的な認識が大多数だったと思います。

告発の歴史は古く、江戸時代からシステムとしてあったようです。

領主の酷い行いを幕府に直訴するといったものです。

ただ、その時代は直訴自体がご法度であったため、訴え出た者も打ち首等の厳罰を受けるのでした。

それでも直訴する人は、それを覚悟の上で自分の身を犠牲にしてまでも世の中を良くしたいと立ち上がったのでしょう。

昔はなぜ厳罰が下されたのでしょうか?

理由は色々とあると思いますが、直訴が簡単にできてしまうと他人を陥れるために悪用する人が出てくるのが大きい理由ではないでしょうか。

現代でも、少し前までは実際に多くの人が報復人事を受けたり、周囲から嫌がらせを受けたりということがありました。

今でも結構ありますかね(;^_^A

しかし、組織を改善・是正するうえで非常に重要な手段の一つと少しずつ認識されるようにはなってきたのではないでしょうか。

また、今は通報者は公益通報者保護法によってその立場を保証されています。

内部告発とは少し違いますが、苦情・クレームは会社にとってとても大切にすべきという考えがあります。

お客様ファーストである以上、お客様の意見、それも苦情となると素の意見であり、会社をより良くしていく上で参考になるからです。

そう受け取れない会社に未来はないでしょう。

内部告発も然りです。

内部告発は善か悪か

内部告発にも色々な動機があります。

「会社を良くしたい!」「自分の会社が世に誇れない汚い会社でいて欲しくない!」

というものが大多数だと思います。

しかし、現実的にどうでしょう。

「これを告発すればあいつ(派閥)は失脚する」「あいつだけ美味しい思いをして許せない」

などの不純ともいえる動機による告発はないのでしょうか。

個人的な感想ですが、残念ながら不純な動機によるものも多い気がしてなりません。

内部告発という正義の制度を悪用した、いわゆるチクリ攻撃です。

例えその内容が噂程度で正しくなかったとしても、組織としては通報があった以上、調査をして対応する必要があります。

それが例え全て正しい情報でなかったとしても、報道等に知れた場合、スキャンダルを嫌う組織によって組織防衛のために辞職に追いやられます。

辞職に追い込まれなかったとしても調査がなされれば噂になり、噂が事実とは関係なく独り歩きしていって風評被害を生み、組織に居辛くなります。

それだけでも、悪意の通報者の目的はおおむね達成できるのでしょうね。

少し違いますが、セクハラやパワハラも似たような傾向があるように思います。

もちろん、ハラスメントは許せない非道な行為であり、それによって苦しんでいる人も多く、私も実際に多くの相談を受けて対応してきました。

ただ、ハラスメントを武器にして何でも大げさに通報することによって、相手に不利益を与えてやろう、「自分を不愉快にさせると後悔する」ということを思い知らせてやろうという魂胆が見え隠れする人が一定数いたのも事実です。

そういう人のせいで、本当に被害に苦しみ、逆に周囲にも言えずに抱え込む人を何人も見てきました。

残念ながら、今はそういう制度を悪用するハラスメント・ハラスメント(ハラスメントと騒ぐハラスメント)を排除する方法もシステムもありません。

ある意味で過渡期にあると思っています。

話を戻して、内部通報は善か悪かと問われれば、間違いなく善です。

悪なのは、その制度を私利私欲のために悪用している人達です。

その人たちのせいで、善の通報者まで悪と見られることがあるのです。

そういう悪の通報者に、打ち首覚悟の気概はありません。

自分の身は公益通報者保護法という安全なところに隠し、他人を陥れて喜ぶクソ野郎外道です。

というのは少し言い過ぎでしょうか。

ここから私情を含んだ私見です

私もこれまで、色々と辛い思いもしてきました。

上司の酷い有様に、内部通告すべきかどうか悩みに悩んだこともありました。

ありもしない噂に苦しめられたこともありました。

その上で至った結論は、自分の置かれた立場で、目についた問題は改革していこうというものでした。

残念ながら、立場で出来ること出来ないことがあります。背伸びしても潰されて終わりです。

他人には頼らず、自分で変えていける立場になって変えていくしかないなと思ったのが現実です。

今私がいる会社は小さいので、幹部の好き勝手といった感じです。

パワハラがあろうと、セクハラがあろうと、全ては幹部の保身のため、クライアントへの体裁確保のために握り潰されます。

令和の時代になっても、そういう組織ってまだまだ多いのではないでしょうか?

日本ってまだ発展途上国なのではないかと時々思ってしまいます。

そういう中にあっても、気概のある人はいます。

そういう信じられる人と手を取り合って、無理せず自分たちに出来る範囲で少しでも良くしていけたらなぁと思う今日この頃です。

無理しても潰されたり本当に会社が嫌になって辞めてしまっては、改革をしていく人がいなくなってしまいますからね。

焦らず機が熟すのを待って、少しずつ・・・。

そんな生き様は如何ですか?

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