生きるのは辛い!?

皆さんこんにちは♪

いきなり重い話で恐縮ですが、皆さんは死にたいと思ったことはありますか?

私は・・・・ないです。

死にたいと思うほどのことを経験していないからなのか、辛くても死にたいとは思わない質なのか・・・。

自分でもよく分りません(;^_^A

東日本大震災から10年が経ちましたが、目の前で愛する家族が流されたり、親しい人の死を間近に体験した人にとっては、死にたいくらいの辛い経験かもしれませんね。

先日目にして思わず泣きそうになってしまったニュースがありました。

震災当日の朝、喧嘩して妻に心無い言葉を投げかけたまま出勤して、震災でそれきりになってしまった・・・というものです。

どれだけ嘆き、悔やんだことでしょう・・・。

でも、その日に戻ることはできませんし、過去を変えることもできません。

そのニュースを見て、生きるということについて少し考えさせられたので、思いつくままに書いてみたいと思います。

生きていると辛い事の連続です。

死ぬのも辛いかもしれませんが、死は一度きりです。

まぁ死んでからの世界がどうとかいうのは、この際抜きにします・・・。

何にせよ、生きて行くということは、次々にやってくる試練やそれに伴う判断、その結果に伴う責任が付きまといます。

スピリチュアルの世界では、生きることは魂の修行であるということを聞きますが、それについては何となく同意できます。

では、人は何のために辛い思いや苦労をしてまで生きるのでしょうか?

それは、その苦労を乗り越えた時、辛さを克服した時に得られる「達成感」のためではないでしょうか?

スポーツを例に例えると、毎日のハードなトレーニングや地道な練習は、辛く苦しいものです。

趣味としてやるだけなら楽しいと感じる範囲でやめられますが、仕事や生きがいとして成果を求めるのであればそうはいきません。

それを歯を食いしばってまで頑張り抜くのは、自分の望む結果が得られた時の達成感のためですよね。

結果までの道程が苦しければ苦しいほど、達成した時の快感も大きいものになります。

そうやって人は大きく成長していけるのではないでしょうか。

それまでは出来なかったことができるようになったり、他人が容易に出来ないことをサラッとできるようになったり・・・。

では、何のために成長するのか?

私なりの答えですが、「あ~いい人生だった」と笑いながら死ぬためではないかと思うのです。

死後の世界は知りませんし、生前の努力で死後の世界で何が変わるかも知りません。

それよりも、自分の中で生きた証というか、これだけのことをやったんだという誇りを得たいと思うのです。

そしてそれは、死ぬときではなく生きている間に自分の力の源になるのではないのでしょうか。

そして更なる苦しみを乗り越える力になります。

苦しみから逃げればあまり経験値は得られず、次の困難も乗り越えられずに逃げるしかなくなってしまいます。

さて( ´ー`)y-~~

とりとめもなく、思う所を書きました。

とはいえ、1人ではどうにも乗り越えられない苦労もあるでしょう。

人は社会的動物であり、他の人と接しながら社会を形成しています。

足りない所を補い合い、助け合って生きています。

頼れるところは頼りつつ、切磋琢磨できるところは競いつつ、高め合って人生を豊かで意義のあるものにしていければ良いのではないでしょうか。

ちなみに、冒頭で紹介した奥さんと喧嘩したまま今生の別れとなった人は、その後、理解して支えてくれる人と出会い再婚したそうです。

心の傷が癒えることはないと思いますが、亡くなったご家族のためにも少しでも幸せになって欲しいと願うばかりです。

東日本大震災により、10年経った今でも4万人以上の方々が避難生活を送っています。

それぞれ辛い思い出や現在の苦労を抱えながら生活されていることと思います。

そんな皆さんのご健勝とご多幸をお祈りします。

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