デキない人ほど自己肯定感が強い

皆さんこんにちは♪

いよいよ年の瀬ですね~。

いや~今年は仕事が忙しすぎて、年末のやるべきことを何一つやっとらんばい。

え?いつものこと?

う~ん確かにそうかも・・・(;’∀’)

昨年は新築で大掃除がいらなかった分、今年は大変だ~(´;ω;`)

今はほぼ家に寝に帰っている状況ですが、暦通りに28日には仕事を納められる予定です。

よし!29日から頑張ろう・・・(^^♪

さて( ´ー`)y-~~

皆さんは自己肯定感が高いですか?それとも低い?

イメージとして、最近の人(そういう言い方がすでにオールド)は高いイメージありませんか?

教育方針として、私らなんかの時代は馬鹿だなんだと言われてゲンコツをもらって育ちましたが、今は違います。

褒めて育てる時代なんですよ。お客さん!・・・って誰に言うてるねん。

あまり叱らず褒めて育てれば、必然的に自己肯定感は高くなります。

特に欧米で早くからこの教育方針が取り入れられているので、顕著なのではないでしょうか。

でも、果たして自己肯定感を高めることは、良い事ずくめなのでしょうか?

確かに低いよりも高いほうが良いんですけど、無駄にというか、中身が伴わず自己肯定感だけを高めても良くないような・・・。

面白いデータがあります。

少し古いですが2017年に高校生を対象に国立青少年教育振興機構が実施した国際比較調査

では、

<私は価値のある人間だと思う>

米国53.2%、韓国48.5%、中国27.9%、日本9.6%

<私はいまの自分に満足している>

米国39.4%、韓国33.6%、中国16.0%、日本8.7%

という結果となりました。

日本の自己肯定感が飛びぬけて低~~~~(-_-;)

よく評論家や何とか先生が叱らない教育の大切さを提唱するときに、日本ディスリの材料として使うデータですね。

日本の自己肯定感の低さは問題だと。だから叱らない褒める教育が必要なのだと・・・。

個人的にその意見には賛同できません。叱るべき時にはちゃんと叱らないと。

じゃああんたの子はどんだけ立派やねん・・・と。

でも安心してください!これ問題ないですから!

以下解説します。

そもそも、日本は文化が違うんです。

欧米やお隣さんと違って、日本は「奥ゆかしい」文化です。

贈り物をする時に、「つまらないものですが・・・」と言って渡すのに象徴されます。

じゃあ本当につまらないものかといえば、そうでもない。そこなんです。

何事にもストレートな欧米諸国とは違うのですよ。

極端な例を挙げれば、欧米人はできるかどうか自信のないことでも「Yes I can!」と自信満々に軽く言ってのけます。

日本人は「上手くできるかどうか分かりませんが、頑張ります」と言います。

で、結果的にはどちらも遺憾なく実力を発揮してベストを尽くすわけです。そこは同じ。

それ、問題ですか?

そもそも自己を肯定し、虚勢を張ってでも自信満々に振る舞い、自己主張していくのは、欧米の文化において重視されてきたことです。

そのような文化のもとで育つ欧米の子どもたちは、必然的にハッタリをかまして自信満々に振る舞うようになりますね。そうでないと生き抜いていけない社会ですから。

中国や韓国の子どもたちも、日本人と比べたら遠慮なく自己主張するいわゆる大陸文化の中で育つため、自分勝手な主張も平気でするようになります。

しますよね?( ´艸`)

日本では謙遜や謙虚さを美徳とするため、自己肯定は控えめにして、相手を尊重することが重んじられます。

自己を肯定しすぎるのは見苦しいといった感受性があるので、当然自己主張も控えるようになります。

そのような文化のもとで育つ日本の子どもたちは、たとえどんなに成果を出しても、自信があっても、「まだまだ力不足です」「もっと頑張らないと」「みなさんのおかげです」などと言うようになるのです。

子どもたちの模範となっているスポーツ選手や著名人なども、そのように謙虚な姿勢ですよね。

じゃあ日本人スポーツ選手や芸術家や学者さんたちは、世界で低レベルにあるかと言えば、全然そんなことはない。

先日記事にしたイチロー氏や今年大活躍した大谷選手、今年ノーベル物理学賞を受賞した真鍋氏など、世界で活躍する日本人は枚挙にいとまがないくらいです。

ちなみに、日本にはノーベル賞受賞者が24人、米国籍者も含めると28人いて、世界ランキングで7位ですが、常に自信満々のお隣さんは平和賞1人のみ。

自己肯定感のデータがいかに問題ないか分かりますよね(^^♪

むしろ、自己肯定感の低さが努力につながり、より高みへと導いてくれているのかもしれません。

日本人には日本人の文化があり、感性があり、美徳があります。

単純に欧米ばかりを追うのではなく、この日本人の日本人たる美しさを大切にしたいものです。

ただ、スポーツの世界において、自分を信じて果敢にチャレンジするという自己肯定感は必須です。

私が学生時代に当然のように行われていた何の根拠もないしごき(良いと言われるまで水を飲むな等)は悲劇しか生まない愚行です。

そういう欧米に見習うべきところはしっかりと学ぶ必要があることも付記しておきます。

さて( ´ー`)y-~~

上記を踏まえた上で、ある種根拠のない自信というか、ピーマンのように中身のない自己肯定さんがいるのも事実です。

実力がないのに自己肯定感だけが異様に高い人って、どういう仕組みになっているんでしょうか。

これは私なりの分析ですが、努力をしない人は、結果が伴わないことを知っているので勝負しません。

自分の実力を知ること、知られることが怖いんですね。

そして、勝負しないために本当の実力を把握できず、でも自分はなぜかデキると夢見ているから自己の過大評価につながり、中身のない自己肯定さんが出来上がるのでしょう。

それが進行すると、もう現実は何も見えなく(見たくなく)なり、嘘に嘘を重ねるように中身のない自己肯定感を新たな空虚な自己肯定感で固めて自我を保とうとしているのです。

そういう人を論破して自己肯定感を崩壊させると、その人全てが崩壊してしまうので注意してください(;^ω^)

逆に、常に真摯に努力してチャレンジしている人は、自分の実力を把握できているため、適正に評価できます。

そのうえで日本人の美徳である謙虚さが加わって、低い自己肯定感となるのでしょう。

必要以上に自己評価を下げる必要や、卑屈になる必要もありません。

常に自分の強みや弱さと真摯に向き合い、自分の力を過不足なく適正に把握しつつ、表向きは謙虚に、努力をひけらかすことなく、地道に自分なりに実力(中身)を上げていくのが日本人らしいかと(^_-)-☆

ただし、ビジネスの世界では仕事を振られて「できる」「できない」はハッキリとする必要がありますけどね。

どんどんグローバル化していくビジネスの世界においては、そこのルールに適応し従う必要もあります。

謙虚で奥ゆかしいが脱いだらやってみれば凄い。私はそんな日本人が好きです。

皆さんはどう思いますか?

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