おもしろきこともなき世をおもしろく

皆さんごきげんよう♪

随分とご無沙汰してしまい申し訳ありません<(_ _)>

決して鼻をほじってボーっと生きていた訳ではありません。

色々と、本当に色々と考えてました。

何をって?

そりゃあ人生のことですよ(^_-)-☆

誤解を恐れず言うならば、今私は仏教の教えに興味を持っています。

と言っても、仏教や仏教から派生した新興宗教に入信する気も、出家して仏道に入る気もありません。

ただ、本来の仏教の教えというものは、「なるほど」や「そうだな~」と思うものが多くあり、私がこれまで考えてきたものと合致するものも多いのです。

これを言うと「あいつ遂に逝ってしまったか・・・」と言われるかもしれませんが、私は自分や世の中のことと真摯に向き合い、自問し、答えを探す時間が欲しいと感じています。

自分だけでなく、この世のことについても知りたいと思っています。

でも現実的にそんな時間はありませんよね(;^_^A

数年、数十年の時間が必要かと思います。

定年して子供も手が離れたら、出家して山に籠るかもしれませんね~(*’▽’)

さて( ´ー`)y-~~

標題の

「おもしくきこともなき世をおもしろく」

ですが、これは幕末に活躍した長州藩の尊皇攘夷派志士「高杉晋作」の辞世の句と言われています。

彼は、吉田松陰が主宰していた松下村塾に入塾し、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一と共に「松下村塾四天王」とも呼ばれていました。奇兵隊を創設したことでも有名ですね。

肺結核により29歳の若さでこの世を去ったのですが、その死の直前の辞世の句とも、死の数年前に詠まれた句とも言われています。

私は以前にもこの言葉を取り上げたことがありますが、私自身が生きていく上での指針としている言葉の一つです。

先日、会社の若い人と長時間一緒に仕事をする機会があって、その際にこの言葉を元に説教(大迷惑)したのですが、

「世の中に面白いことを求めてはいけない。面白くするのは自分だ!」

ということですね。

よく「何か面白いことないかな~」とか、「毎日がつまらないな~」と嘆く人を見ますが、そういう人は自分で何かをしてやろうとか、自分で面白くしようとかいう意識が希薄で、何でも他人任せで成り行き任せで生きています。

警備のお仕事は、とにかく立つことが多いですが、例えば1時間立っているにせよ、その1時間をどう過ごすかで大きく変わるんです。

「早く時間過ぎないかな~」とか「暇だな~」とか考えながら立っている人は、受動的な考え方と言えます。

対してその1時間を、色々な考え事に費やしたり、人知れず筋力トレーニングしていたり、何かしらの意思と目的を持って過ごす人は能動的であり、同じ1時間を有意義なものにできます。

警備の仕事をしろ!と言われそうですが(;^_^A

つまり、全ては自分次第ということなんですね。

前者の人は、他人から或いは偶然に何かをしてもらわないと何も変わることができない可哀相な人だと思います。

実はこの句には続きがあり、晋作をはじめ志士たちの援助を続けてきた幕末勤皇派歌人として有名な野村望東尼さんが付け加えたようです。

「すみなすものは心なりけり」

まさにその通りですよね。

人生というものは、心がけ次第で面白くもつまらなくもなります。

他力本願で受動的な人は、人生をコントロールする術を放棄し、波に揺られがままに生きることになります。

これもブログ立ち上げ当初に書いたTOKIOの「宙船」の一節

「お前のオールを任せるな」

というやつですね。

とはいえ、自分の思うようにいかないのも人生であり、それがまた面白い部分でもあるのかもしれません。

というか、上手くいかないことを辛いと思うのではなく、「面白い、上等じゃないか。」と感じる余裕というか、心持ちも必要だと思うのです。

そういうことも含めて、日々色々と考えています。

多分私は変人です(;’∀’)

暇さえあれば本当に色々なことを考えています。

そして「なるほど!そういうことか」と納得する(悟る)こともあれば、どうにも答えが見つからないこともあります。

日々悟りを増やしている今の自分は、もしかして仏教の修行に当たることをしているのかもしれません。

ということもあり、仏教に興味を持っています。

繰り返しますが、とはいえ仏教に傾倒する気も入信する気もありません。

以前にも言いましたが、仏教って他の宗教と違って、絶体神がいるわけではなく、その絶対神に救いを求める訳でもありません。

苦難に溢れるこの世で、苦しみから逃れるためにこういう生き方をしましょうね、と説くのが仏教だと理解しています。

あきらかに他の宗教とは違いますね。

どうしても宗教って矛盾があるんですよね。これも以前記事にしたと思います。

仏教も死後の世界や輪廻転生については矛盾があると感じていて、そもそも宗派によって違うことがおかしいです。

この世の色々なことは納得しつつありますが、死後の世界については全く理解ができていません。

相当な時間を要すると思われるので、完全に俗世から隔離した状態で時間をかけて考えたいんですよね。

となると定年後ですかね~。

といった現状です。

日々考えるなかで、納得したことについて追々書いていきますので、良かったらまた遊びに来てくださいね(^^)/

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