皆さんこんにちは♪
オリンピックの開会式、良かったですよね!
これまでの派手派手レースからは一歩引いて、復興五輪に相応しく日本の伝統的な要素や、ゲームやマンガなどの比較的新しい日本らしさをふんだんに盛り込みつつも、今注目されている多様性もしっかり表現していて、思わず頷いてしまうような日本らしいオリジナリティあふれる良い開会式だったと思います。
特に動くピクトグラムが最高でした(*´▽`*)
1964年の東京オリンピックで初めて採用されたピクトグラムを題材にして、これまでのオリンピックで見たこともない笑いの要素を取り入れていて、涙が出るほど笑ってしまいました。
芸術的な演出は私には意味がよく分らないので、個人的にはこういうの好きですね~(^^♪
そんな開会式をテレビで見ながら「あ~自分もその場にいたかもしれないのにな~」と多少複雑な気持ちにもなりました。
選手から監督として目指していたというのが一つと、あとの一つはもし前の仕事を続けていればそこにいる可能性があったのです。
それ以上は内緒です(^_-)-☆
さて( ´ー`)y-~~
先日、前の職場に応援を求められ一時的に復帰する・・・・夢を見ました(;・∀・)
起きてからとっても後味の悪いものが残りました・・・。
ハッキリ言って、求められることもありませんし、求められることがあっても戻ることもありません。
別に前の職場に恨みを持って何かしてやろうとかは思いませんが、何か力になろうとも思いません。
それは私が辞めることになったからではなく、その辞めさせ方が汚なかったからです。
辞めさせるためには、偏った情報を先に報道にリークしたり嘘や脅しなどの手段を選ばない・・・そんな連中が牛耳っている組織ですから当然ですよね。
それはさておき、私は警察学校の教官時代に、多くの者を辞めさせたのも事実です。
自分から心折れて説得しても辞めていく人もいれば、不適格者なんだけど意地でも辞めようとしない人もいました。
そんな手強い人の場合、私に説得役が回ってくることが多かったです。
なんでやねん(;・∀・)
ただ、私が必ず気を付けていたのが「辞めさせても敵にはしない」ということです。
辞めさせるだけなら簡単です。メッタメッタのギッタンギッタンにしてしまえば良いのですから。
そんな下等な行為は誰にでもできます。
でも、それをやると組織の敵を作ることになり、ブーメランとなって組織に跳ね返ってきます。
「辞めてなお感謝される」それが理想です。
組織を思い、その人を思えば、バカみたいな辞めさせ方は出来ないはずなんです。
それが出来ないということは、本当に組織の事もその人の事も思っていないということですね。
本来、辞めるべき人がそこに居続けることは、組織にとっても本人にとってもマイナスなんです。
その人自身も、辞めるべきことは内心分かっているのです。
でも色々な事情で、決断できないでいる、自分で認めたくない、辞められないバックグラウンドがあるなど、様々です。
それを丁寧に拾ってあげて、一緒に向き合ってあげれば、多くの場合辞職を受け入れます。
よく担任でもないのに説得を命じられたりしましたが、あまり人間関係を構築できていない人の場合「最低でも3日ください」と私はお願いしました。
心を開いて話してくれるようになるまで、それぐらい時間を要するからです。
でも、そんな彼らの去り際の顔の、何と清々しいことか。
憑き物でも落ちた様にすっきりとした良い顔をしています。
組織の敵を作らないとは、そういうことなのです。
私は、自分自身が組織を去る前から去った今でも、辞めていった一部の人と付き合いがあります。
就職した、結婚したなど、色々な報告をしてくれて、私も我が事のように嬉しくなります。
人生は良い事ばかりではありません。
仕事を辞めるということは、人生における大きな苦難でしょう。
でも、もし人生というものが魂の修行の場であるならば、苦難を経験し乗り越えることこそがこの世を生きる目的でありましょう。
時には乗り越えられない苦難もあるかもしれません。
それも良いと思います。乗り越えるだけが目的ではないからです。
困難に直面し、もがき苦しみ、それでも乗り越えられずに挫折する・・・。それも人生においては意味のあることなのでしょう。
苦難から逃げて後悔することもまた、次に逃げないための貴重な経験なのかもしれません。
そう考えると、人生って全てに価値があるんですね(*’▽’)
どうせこの人生を歩むなら、より多くの経験を積みたいものです。
そして、その一つ一つを大切に生きたいと思う今日この頃です。
ちなみに、私はお坊さんでも宗教家でもありません・・・。
ただのいちオッサンですけど何か?(-。-)y-゜゜゜
そんな生き様は如何ですか?
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