頑張らない努力

皆さんこんにちは♪

今週末も大雪の予報・・・。

何年かに1回、都心部でも交通に支障が出る大雪がありますが、今年はその年なんですね。

しっかし都心部の雪って水分が多くてジュクジュクになるから不快ですよね(;’∀’)

んでもって、翌朝にはぐちゃぐちゃのまま凍るから歩きにくいこと、この上なし。

雪国って逆に積もってても歩きやすいですもんね。

さて( ´ー`)y-~~

頑張って努力しているのに報われない・・・という方も多いのではないでしょうか。

妻なんかそうですね。

確かにすっごい努力して頑張ってますよ。

でも結果が伴わない・・・(;^_^A

私なんか大して努力もしてないように見える(まぁ実際あまり努力してませんが(´▽`*))らしく、いつも皮肉や嫌味を言われます。

最近、著名な方が「努力なんて無駄!」といったキャッチーなタイトルで動画投稿などをされていますが、私なりの理解をお話したいと思います。

頑張らないための努力

「努力なんて無駄」

「努力なんて意味がない」

これだけを聞くと、頑張っている人には空しく思えるかもしれません。

じゃあ努力しなくていいのかというと・・・そうではないと思うんです。

結論から言うと、努力する方向や方法を選ぶ必要があるんです。

要するに、努力には必要なものと無駄なものがあるということですね。

分かりやすい例を挙げましょう。

あなたは米国大統領になれますか?

無理ですよね。

それを大統領目指して頑張るのは、完全に無駄な努力です。

もっと現実的な例を挙げます。

誰かが作った統計をとるエクセルデータがあって、それをあなたが使うとします。

毎日毎日データを入力していくのですが、関数やリンクが全然張られていないので、かなり入力に手間と時間を要します。

毎日、頑張って時間をかけて入力し続けますか?

それとも、1日大変だけど頑張って関数やリンクを作成して、次の日から楽に入力できるよう改善しますか?

無駄な努力と必要な努力って、そういうことだと思うんです。

無駄な努力をしないための努力・・・とも言えますね。

何事もそうですが、労力と成果を天秤にかける必要があります。

費用対効果ですね。

理想は、少ない労力で大きな成果を得られることです。

今やっている仕事で、慣れてしまうと感じにくいかもしれませんが、もっと少ない労力で良い結果を得られないのか、考える必要があるんです。

それを何も考えず、教えられるがまま、決まったルールに従って大変な思いをし続ける人は、客観的に見て努力に対する成果が割に合わないことが多くなります。

何でこんなに頑張っているのに!ってなる訳です。

ただし、特別な事情があって他に選択肢がないのであれば、それをどうこう考えること自体が無駄な努力になります(;^_^A

努力自体に意義を感じない

これは言い過ぎかもしれませんが、努力すること自体に満足していないでしょうか。

仕事というのは、誇りや遣り甲斐というものがとても大事です。

大事なんですが、努力すること、頑張っている自分そのものに誇りや遣り甲斐を感じてはいけません。

趣味ならそれで良いんです。

楽しむことが目的ですから。

でも仕事である以上、成果を出してなんぼの世界ですよね。

なので、成果や実績に誇りを見出し、そのための最短距離の選定に遣り甲斐を求めるべきです。

テストの時、「はじめ」で問題用紙を見て、いきなり回答を書き始めるタイプは前者である人が多いように思います。

確かに暗記物で忘れる前に書いてしまおうという戦略は理解できますが(*’▽’)

まずはじっくりと問題を読み、問われていることを正しく理解(ここ大事!)し、回答を得る最善の方法を導き出してから回答に取り組むのが賢いやり方ではないでしょうか。

とりあえず書き出す人に限って、「正しくないものを選べ」を「正しいものを選べ」と勘違いしてしまいがちです。

問われていること=仕事の成果を正しく理解しましょう。

そこが分からずに無駄な時間を費やして無駄な努力をしてしまっている人が多いように思います。

妻にもそう言っているのですが・・・喧嘩になって聞く耳をもってくれません(;^_^A

それでも努力しなければならない時がある

私が思うに、スポーツなどの技術系のものに近道はありません。

もちろん努力の仕方は考える必要はありますが。

一流の技術を身に付けたければ、地道な努力を積み重ねるほかないと思っています。

そこは必要な努力ですね。

ただし、その努力は自分の技術獲得のためのものでなければなりません。

決して「頑張っていることをアピールする」ためであっては意味がないし、「俺(私)頑張ってる!」という自己満足のためのものであってもいけません。

技術獲得のための近道はないんです。

例えば、野球のバッティングを上達したければ、正しい形をひたすら練習して、体で覚えるしかない。

そこに近道はありません。

王貞治選手が1歩足打法に移行する際に、畳が擦り切れて足から血が出るほど素振りをしていたという話は有名ですね。

それは誰かに認めてもらうためでも、努力を評価してもらうためでもなかったはずです。

先般お話ししたイチロー選手も努力家として有名です。

でも彼らは決して努力したことに意義を感じ、それを誇りにしてはいません。

あくまでも結果を得るために必要であったから努力したのです。

ただ、残念なことに誰でも努力すれば結果が出るのかと問われれば、答えは「NO」です。

そこは「実力も運の内」、持って生まれた才能やその時々の運も多分に影響するでしょう。

でもそれが自分のための努力なのであれば、絶対に自分の身にはなっていますし、努力自体に意味があります。

自分のための努力は、努力自体にも意味を帯び、自己アピールのための努力は何も得ません。

その違いは知っておく必要があります。

さて( ´ー`)y-~~

ちょっと屁理屈みたいな話になってしまいましたが、如何だったでしょうか?

今一度、自分を振り返って見直すことをお勧めします。

無駄な努力は時間とリソースの浪費です。

同じ努力をするなら、目的をはっきりと見定めて有意義に行いましょう。

例え良い結果が得られなかったとしても、結果としてそれは自分の血となり肉となるのだと思います。

こんなに頑張っているのに結果が出ないし評価もされない!と感じている方は、もしかしたら努力自体に意義を感じ、或いは努力を認めてもらおうとしているのかもしれません。

同じ苦労をするなら、実のある努力をしましょう。

そんな生き様は如何ですか?

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