幸せになる3つのこと

皆さんこんにちは♪

今日電車の中吊り広告で、「ガッキー」さんを久しぶりに見ました(^^♪

昨年、星野源さんと結婚して世の男性諸君に「ガッキーロス」を発生させてしまったことは記憶に新しいですね。

ガッキーさんは幸せに暮らしているのでしょうか?(余計なお世話)

ところで、皆さんは幸せですか?

というかそもそも幸せって何ですか?

「キッコーマンのポン酢しょうゆ!」と答えた方、THE昭和です(´▽`*)

冗談はさておき、「幸せとは何か?」の問いに答えられる人っていますか?

色々な解釈があって人それぞれ答えは違うのかもしれませんし、違って全然構わないと思います。

私は失職やら色々経験して、自分なりの幸せや幸せになる方法を見つけたので、紹介したいと思います。

参考になれば幸いです。

幸せとは何か

幸せとは、その人が幸せだと感じることを言います。

幸せと感じる時、脳内の快楽物質と言われる「ドーパミン」が分泌されています。

このドーパミンは、「楽しいことをしている時」「宝くじに当たった時」「恋に落ちた時」など色々なシチュエーションで分泌されます。

ちなみに、残念ながらこのドーパミンは長時間分泌され続けません。

ゆえに、幸せもその瞬間その瞬間に感じているということになります。

なので、屁理屈を言うと「あの人は幸せな人生を送っているねぇ」ではなく「あの人は幸せに満ちた人生を送っているねぇ」という言い方が正しいことになります。

そこはどうでもいいか・・・(;^_^A

心がときめく刺激的な毎日であれば、毎日幸せを感じられるでしょう。

でも、そんな奴おれへんやろ~(大木こだま風)

そう、そんなワクワクに満ちた生活を送っている人なんて極々少数ですね。

多くの人は「何か良い事ないかな~」と平凡な毎日を送っているのではないでしょうか?

私もそうでした。

口癖のように「何か良いことない?」と言い、棚からぼた餅が落ちてくるのを口を開けて受動的に生きておりました。

でも色々あって、人生について色々考えて、分かったんです(*’▽’)

どうやったら幸せを感じられるか。

たった3つのことで、誰でも幸せになれます!

本当の幸せを知る

テレビを見ながら「あの芸能人夫婦は、幸せそうだね~」という人は、本当の幸せを知らないと思います。

なぜならば、幸せというのは、他人が決めることではなく自分で感じるものだからです。

周囲からどんなに幸せそうに見えても、本人が幸せに感じていなければそれは幸せではありません。

逆に言うと、周りから不幸そうに見えても、本人が幸せを感じていれば幸せなのです。

一般的に、「豊かな生活=幸せ」「貧乏=不幸せ」という風に認識されている方が多いかと思いますが、違います。

豊かな生活は、それはそれで素晴らしいものですが、幸せに感じるのは最初だけです。

生まれた時から豊かな生活を送っている人は、それが当たり前に感じています。

当たり前のことに、幸せは感じないのです。

事業が成功して生活が豊かになっても、幸せを感じるのは最初の頃だけです。

早い段階でその生活が日常になり、当たり前のことになります。

お分かりかと思いますが、幸せは「家柄」「育ち」「学歴」「地位」「年収」「資産」「交友関係」などとは一切関係ありません。

ではどうすれば幸せを感じることができるのでしょうか。

あと2ステップです(^_-)-☆

意識を変える

幸せの正体が分かったところで、次に意識を変えましょう。

幸せってどうやって得ると考えますか?

天の思し召しを待ちますか?

運に任せますか?

否!

幸せは自分で探しに行きましょう。

水前寺清子さんの「三六五歩のマーチ」はご存じでしょうか?

「幸せは歩いてこない だから歩いていくんだね」

そのとおりだと思います。

心掛けひとつで、幸せというのは得ることができます。

そこかしこに幸せはあります。

それを見つけるのも触れるのも、それぞれの気持ち次第です。

同じ物事が、人によっては当たり前に感じたり、幸せに感じたりします。

それは心持ちによる違いです。

幸せを感じるのに、お金はいりません。

時間もいりません。

努力もいりません。

学歴もいりません。

地位もいりません。

立派な豪邸に住んだり著名人と交友関係がある必要もありません。

意識を変えるだけです。

意識が変われば、見える世界が変わります。

そうすれば、自分の周りに無限に存在している幸せを見つけることができるでしょう。

では具体的にどうすれば良いのでしょう。

さぁ最後のステップです。

日常に幸せを見つける

病により流動食しか食べられなかった人が回復し、久しぶりに食事を摂ったらどう感じるでしょう。

多分いきなりかつ丼とかは食べずお粥などから始めると思いますが、それでも自分で咀嚼してご飯を食べられることに、この上ない幸せを感じることでしょう。

足を悪くして歩けなかった人が、手術により歩けるようになったらどう感じるでしょう。

答えはそこにあります。

私たちは普段、歩けることに何の感慨も覚えず当たり前に歩いていますよね。

足を痛めて歩行能力を失うことで、当たり前の歩くことがとてつもなく大きな幸せになるのです。

世の中に当たり前のものなんか無いのです。

世の中に永遠のものなどないのです。

今こうして息をして汗を流してちゃんと食事できている日常、これ以上の幸せってあるでしょうか。

と言うと、「何だそんな落ちかよ~」と言われそうなので、もう少し具体的に例を挙げます(;^_^A

在宅でのお仕事が増えて、街中を移動する機会が減った人も多いでしょうか。

私は仕事柄あまり変わらず動いていますが、駅まで歩くとき、電車から見える景色など、目に入る全てのことに興味を持って見ています。

「あっ建物ができ始めてる。何ができるんだろ~」とか

「今年もここに一輪だけ花が咲いた」とか

家族に話しても「何でそんなとこまで見てるの?何が面白いの?」みたいな反応が返ってきますが、そんなことでもワクワクできることが大切なんですよ。

どんな小さなことでも、興味を持って触れれば、大きな喜びになることがあります。

興味を持たなければ、ただのうるさい工事であったり、単に道端に咲いている花です。

同じ時間、同じ道を移動して、幸せを得るのと何も感じないのと、どちらが良いですか?

電車で何気ない親切を目にした時、飼い主を見て嬉しそうに尾を振る犬を目にした時、雲の合間から太陽が顔をのぞかせた時、呼び釦を押してすぐにエレベーターが来た時、100円玉が落ちているのを見つけた時(おい!)・・・etc

幸せは、目を向ければどこにでもあるし、目を向けなければどこにもありません。

何かと世知辛い世の中ではありますが、目の色を変えて必死に前だけを向いて生きるのではなく、色々なものに関心を持って、色々なものを楽しみながら生きるのも良いのではないでしょうか。

今思えば、私は仕事を辞めるまで余裕がなかったのか、そういう生き方ができていませんでした。

人生の挫折を味わい、立ち止まって色々な物事を考え、変な焦燥感とか凝り固まった固定概念とかがなくなったので、そう思えるようになった部分もあります。

そういう意味で、今は日々幸せを感じながら生きております(*’▽’)

これが幸せに満ちた人生ってやつですかね?

まとめ

幸せは、他人とは関係なく自分が感じるものです。

幸せは日常のそこかしこに存在していて、それらを見つけられるも触れ得るのも、全ては自分の意識次第です。

日常を当たり前と思わず、その瞬間瞬間に感謝の心で目を向ければ色々なものが見えてくるでしょう。

身の回りの些細なことでも楽しくなって、自然に笑顔になれて心も穏やかになります。

それこそが幸せなのではないでしょうか。

最後に一曲紹介

THE虎舞竜「ロード」1993年1月

「何でもないようなことが 幸せだったと思う

何でもない夜の事 二度とは戻れない夜」

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