日常が日常たるありがたさ

これは、前職のときに私がよく部下に言っていたオリジナルの言葉です。

意味は、日々過ごしている当たり前の日常は、いとも簡単に壊れて日常ではなくなるから、何事にも注意して過ごしましょうねという意味です。

私は前職のときに都市部まで通勤していました。

ある朝、駅構内から地上に出て、建ち並ぶビルを見上げたとき、「あ~俺って田舎から出てきて凄いところで仕事してるんだな~。」と改めて感動したときがありました。

こうやって当たり前のように都会まで通勤し、颯爽と偉そうに歩いているけれど、仕事を失ったらこれが当たり前ではなくなり、日常ではなくなるのだなぁと感じたのでした。

まぁ現実にそうなった訳ですが・・・( ゚Д゚)

人は悲しいかな、失ってからその価値に気付くことが多いです。

例えば指を骨折したとき、その不便さから「あぁ~意識したことなかったけど、指って普段こんなに使っていたんだ~」とか・・・。

日常は、自分の不注意で失うこともあれば、不可抗力で失うこともあります。

少なくとも、自分の不注意や作為で失うことのないように気を付けたいものです。

何かをするとき、こうしたらこうなる・・・という結果を予測し、それでもなおやるのならば覚悟をもって好きにすれば良いと思います。

でも、多分大多数の人は、結果を考えていないか、考えていても目先の果実を優先したのでしょう。

何時まで経っても、世の中の事件や不祥事が減らない訳です・・・。

不可抗力で日常を失うことは、運も絡みますが避けられないことです。

例えばちゃんと歩道を歩いていても、車が突っ込んでくるとか、病気になるとか、部下の不祥事の責任をとるとか・・・。

でも、道の車道と反対側を歩くようにするとか、信号待ちは車道から離れて待つとか、日ごろから食生活や運動といった生活習慣に留意するとか、普段から部下と人間関係を構築して心に沁みる指導をしておく等していれば、確率は減らしていけますね。

日常が何の変哲もない日常であることは、実は運も味方につけたうえで成り立っているとても素晴らしいことなのです。

でも、私たちはそのありがたみを「当たり前」として、失うまでついつい忘れてしまいがちです。

失ってから後悔しても遅いです。覆水は盆に返りません。

「後悔先に立たず」ではなく、「後悔を先にして先に立たせる」ことはできないものでしょうか。

失ってから後悔しないよう、日々の生活を守りたいものですね。

そんな生き様は如何でしょうか?

コメント

PAGE TOP