明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

桜にちなんだの言葉をもうひとつ。

これは親鸞聖人がわずか9歳で得度を受ける際に、周囲の大人が「夜も遅いし明日にすればどうか?」と言ったところ、親鸞が返した言葉とされています。

桜は明日見れば良いと先延ばしにしていると、夜中に嵐が来て全て散ってしまっているかもしれない。命も同じで、いつ散ってしまうかわからないので、今ある命でやるべきことをやる。」という意味です。

本当かどうかは分かりませんが、わずか9歳にして言ったとすれば凄いですね。私が9歳のころなんて、悪さして廊下にバケツを持って立たされて・・・。

私も、嫌なことほど先延ばしにしてしまいます (;’∀’)

時には棚上げして・・・なんてことも必要かもしれませんが、少しは親鸞聖人を見習わないといけないですね。

さて、前回の投稿で「いつ死ぬかわからないから、死ぬときに後悔しないようにその時その瞬間を懸命に生きる。」と書きましたが、結局はこの言葉も同じ結論に繋がります。

これまで、私も親しい人の死を何度か経験してきました。病気や事故、自殺など要因は様々でしたが、その都度「命って儚いな・・・」と痛感してきました。

特に印象に残っているのは、高校時代にバイクで事故死した人がいて、その葬式の帰り道にその同級生が事故にあって死んだことがありました。

そんなことがあっていいのか!?神様っていないのではないかと思った記憶があります。

人って本当にいつ死ぬか分かりません。末期の病気の人などは死を意識して生活しているかもしれませんが、健康な人は死について普段あまり真剣に考えないですよね。

でも、死を身近に感じながら生きている人は、何事にも感謝するようになって、何というか悟りを開いたようになると言いますよね。

死と向き合っている人は、見える世界も変わってくるのだと思います。

でも、健康な人だっていつ死ぬか分からないんです。極端な話が、巨大隕石が今この瞬間に落ちてきたら、地球上の全人類が壊滅的に死にます。

身近な例えでも、家を出た瞬間に交通事故で死ぬかもしれません。どんなに気を付けていても、不可抗力で死ぬことはままあります。

願わくば、そういう不慮の事故等も視野に入れて、死を意識し、でも後悔のないようその時その瞬間を懸命に生きることができれば素晴らしい人生を歩めるのになぁ~と思う今日この頃です。

生き様があれば死に様もあります。死に様についてはまたの機会に・・・。

そんな生き様は如何でしょうか?

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