これは、良寛和尚の辞世の句と言われています。
今まさに命が燃え尽きようとしているとき、たとえ命が長らえたところで、それもまた散りゆく命に変わりはない
という、とても切なくも物悲しい句ですね。
今年は新型コロナの影響で花見を楽しむ機会がないまま桜が散ってしまい、もう葉桜になってきましたね。桜も不本意だったに違いありません。
この句は毎年桜を見ると思い出すほど、鮮烈に脳に残っています。
人も然り。人はいずれ必ず死にます。
毎日のようにニュースで有名人の死が報じられていますが、今日いまを生きている私たちも、いずれは死にます。
昔若い頃に屁理屈哲学に凝った時期があり、
「人は何のために生きるのか?いずれは死が待っているというのに。」
というようなことを真剣に考えていました。
えっ?変ですか?
えぇ、変人ですが何か?(-。-)y-゜゜゜
人は何のために苦労してまで懸命に生きるのか?
以下が私なりの回答です。
私はいわゆるスピリチュアルの世界には疎いので、死後の世界がどうとかいう気はありません。
ただ、このことに尽きると思います。
死ぬときに「あぁ、良い人生だった。」と微笑みながら死にたいから。

まぁ交通事故で即死だったりしたら、そんなことを考える余裕もないわけですが・・・( ゚Д゚)
それはそれとして、今を懸命に生きるということは決して無駄にならないと思うわけです。
人はいつ死ぬか分かりません。分かりませんが、いつ死んでも後悔しないように、その時その瞬間を懸命に生きることが大切なのだと思います。
人生って「あ~こうしとけば良かった~。」と後悔することがたくさんありますよね。
でも、生きている間の後悔はリカバリーができますが、死ぬときは後悔したまま終わりですから・・・。
生きてりゃ悪いこともあるけど、良いこともありますよ。
「人間万事塞翁が馬」
これは中国で古くから伝わる教訓で、良いことが悪いことに繋がり、悪いこともまた、良いことに繋がっているというものです。
良いことも悪いことにも一喜一憂せず、人生をトータルで楽しみましょう。
何だかお坊さんの説法のようになってしまいましたね(;’∀’)
こんな生き様は如何でしょうか?
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