「やるせない時」に読んでください

皆さんこんにちは♪

何をやっても上手くいかない

良かれと思ってやっても逆恨みされる

人間関係が上手くいかない

自分は悪くないのに責任ばかり降ってくる

良くないことばかり起きる

などなど、どうにもこうにもやるせない時ってありますよね(-_-;)

私は27年務めた職場を辞めて転職した経験があります。

それも、ステップアップのための転職などではなく、意に反して辞めざるを得なくなってからの準備期間のない転職でした。

過去に色々とその時の気持ちなどを書きましたが、正直に言えば、

運命を呪いました。

色々な人を恨みました。

でも、いくら過去を悔もうとも、現実は何も変わりませんでした。

今は転職して人生が変わったことに、後悔や人を恨んだり憎んだりの気持ちはありません。

その時に、憎んだり恨んだり腐ったり自分も含めて責めたりしながら考えて見えてきた事を共有したいと思います。

少し趣向を変えて、「詩」風に書いてみます(*’▽’)

読んだ方が、少しでも前向きに考えられるようになれば幸いです。

宗教の勧誘や壺は売ったりしません(^_-)-☆

コメントお待ちしています。

この世は見えている世界だけではない

人間の目は、草食動物の馬などと違って両方前向きについています。

視野が狭い分、目標物を立体的かつ深度までしっかりと見極めることができるのが特徴です。

草食動物は、広い範囲を警戒する必要があるため、目が横についているのです。

なので、人間の視野は狭いです。

そして、えてして見える範囲のことしか考えられなくなります。

その上、何かショッキングなことなど感情を大きく揺さぶられるような出来事に遭遇すると、途端に視野が更に狭くなってしまいます。

でも、考えてみてください。

世界は広いです。

自分が見ている範囲のほかにも、どれだけ広い世界が広がっていることでしょう。

広~い広~い世界の中で、目の前のことだけに囚われて嘆き打ちひしがれるのは、もったいないことです。

道はひとつではない

もし歩んできた来た道から落ちてしまった時、或いは道を踏み外してしまった時、はじき出されてしまった時、運命や原因となった自分や他人の行いを恨む必要はありません。

本当にそれが正しい道であったと、誰が証明できますか?

歩んでいる時には、それが正しいと思っていることでしょう。

そう思わなければ、自信をもって進めません。

でも、それは思い込んでいるだけであって、本当に正しいかどうかなんて誰にも分からないのです。

もし仮に、高い位置から全てを見通せる万能な存在があったとすれば、その存在には可能でしょう。

しかし、そういう存在がいたとして、導いてくれるでしょうか。

皆が正しい道に導かれるならば、そもそも色々な道が存在して迷い苦しみ悩むこと自体がなくなり、同時に存在意義を失ってしまいます。

ゆえに、最終的には自分で考え、自分で決めて一歩を踏み出すしかないのです。

万能な存在も含め、自分以外に判断をゆだねて得た結果は、自分のものではありません。

歩んできた道を外れてしまった以上、元に戻れない以上、外れたことを悔むのはやめましょう。

時間と糖分の無駄です。

世界は広いです。

自分のまだ見ぬ世界が大きく広がり、もっと素晴らしい夢と希望にあふれた道がいくらでもあなたを待っています。

歩んできた道が全てではありません。

これから先に無限に広がる未知の道で、大きな一歩を踏み出せば良いのです。

もしその道がダメでも、他の道もあります。

道を変える勇気を持った人には、無限の可能性が広がっているのです。

「この道でなければ・・・」という、自分を雁字搦めにし、自分の可能性を狭めている呪縛を解き放ちましょう。

道から外れた時はとんでもない大きな出来事に思えても、後から振り返れば必ず「なぁ~んだ大したことないじゃん・・・」となるはずです。

それは、それだけ成長した証なのです。

目の前のことだけに執着しない

道を踏み外さず一心不乱に歩いている人には、他の道を知る機会はあまり訪れません。

人は安定を好むので、今ある環境が変わることを恐れ嫌います。

それが幾多ある道の中で、正しい道とは限らないのに。

目の前の歩んでいる道だけに執着してはいけません。

その道は、相当先まで見通せる明るく歩きやすい道かもしれません。

でもそれが正解の道だとは限らないのです。

世界は広いです。

どこに素晴らしい道があるか分かりません。

その道は、自分が意識しようがしまいが、探そうが探すまいが、間違いなくそこかしこに存在しているのです。

でもそれは、今の執着を捨てて探さないと見つけることはできません。

もし意に反して歩んできた道から外れたとしても、逆にそれは他のもっと素晴らしい道に出会えるチャンスでもあるのです。

とはいえ、歩んでいる道が険しいからと、簡単に別の道に逃げてもいけません。

そのような心掛けでは、どんな道を歩もうとも途中でまた諦めてしまうことでしょう。

しかし、ある程度先まで見えた段階で、この道は違うと分かればそれ以上執着することはマイナスです。

マイナスと知りつつも、ズルズルとその道を歩み続けてはいけません。

それはその道ではなく、「安定」に執着してしまっているのです。

人生は1度きりしかありません。

1つの道を踏破するのも良いでしょう。

色々な道を歩く人生も良いでしょう。

ただし、どの道を歩むにしても自信を持って進まねばなりません。

大切なことは、歩む道を自分で選択し、選択したことに誇りとプライドを持って歩むことなのです。

人の価値は人間力で決まる

人は、生きてきた経験値で価値が決まります。

いくら素晴らしい家柄でも、どんなに高い学歴でも、誰もが羨む職歴でも、それが自分の血となり肉になっていなければ、何の価値もありません。

一流の大学を出て一流の会社に入っただけでは、人生においては意味がないのです。

それは高価で華美な鎧をまとっているに過ぎないからです。

そのような「ガワ」は、いとも簡単に剥がれ、中身をさらけ出します。

お金で買えるものに真の価値はありません。

お金で簡単に買えないからこそ、価値があるのです。

挫折を味わい、困難を乗り越え、道を自ら切り拓き、辛い思いをして、人の思いやりに涙する。

その経験の地道な積み重ねが、人として大きくさせるのです。

「ガワ」が何であるかは問題ではなく、こだわる必要はありません。

「ガワ」で人と接するのではなく、どんな些細なことでも大切にし、それを自分の気持ちで受け止め、答えていけば、人としての価値が上がります。

それをあくまでも「ガワ」にこだわることは、人としての価値を理解していない証拠です。

人を「ガワ」で判断する人も同類です。

どんな学歴でも、どんな仕事でも、世のため人のために家族のため心を込めて全うすれば、尊いものです。

「ガワ」で困難は乗り越えられません。

「ガワ」で集まって来た人は、いざという時に助けてくれません。

「ガワ」は墓場まで持っていけません。

「ガワ」で葬式に多くの人は足を運んでくれません。

最後にものをいうのは、「ガワ」に頼らず経験値を積んで得られる中身、人間力なのです。

どんな困難も、立ち向かえば経験値となり、人間力の糧になります。

目の前の不運や不幸を恨んだり悔んだりして終わるのか、現実を受け入れ立ち向かっていくのか。

全ては自分の選択にかかっているのです。

人は苦しい時に、「ガワ」から本性が表に出てきます。

困難の時は、自分が試されているのです。

失敗を恐れず、自分で選択したという自負と自信をもって進みましょう。

失敗も人間力の礎になるのだから。

大きな失敗を経験して学んだ人ほど、大きな人になれます。

失敗のない人生は、鍛えていない鉄と同じ。

屑鉄をいかに「ガワ」で装飾しようとも、価値はありません。

苦しみの中にいるあなたは、いま正に鍛えられているのです。

困難を受け入れ、それに立ち向かう自分を誇りにしましょう。

鍛えられて鍛えられて、強く逞しくなりましょう。

また次の大きな困難を乗り切れるように・・・。

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